
東京には、国宝建築が2つあります。
ひとつが「迎賓館赤坂離宮」、もうひとつが今回紹介する「金剛山正福寺地蔵堂」です。
「金剛山正福寺地蔵堂」には、東村山駅から歩いて、およそ15分で到着します。
訪れる人は少ないようです。
境内に入ると、眼前に大きく張り出した屋根が現れます。
反りの強い柿葺き(こけらぶき)の入り母屋屋根(いりもややね)に、直線性の鋭い銅板葺きの裳階屋根(もこしやね)です。
このような建築物が現在まで維持されるのは日本の伝統的な建築・修理の技術があるからです。
木・草・土などの自然素材を生かす知恵、周期的な保存修理を見据えた材料の採取や再利用、部材の調和や一体化など、建築遺産とともに古代から伝統を受け継ぎ、工夫を重ねて発展してきた伝統建築技術は、”伝統建築工匠の技”としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
参考サイト
https://bunka.nii.ac.jp/special_content/ilink4
柿葺き | 薄く短い木の板を重ねて葺く工法 |
入り母屋屋根 | 切り妻造りの妻側の三角形の壁面を残し、下に庇を葺き降ろした形の屋根 |
裳階屋根 | 軒下壁面に付いた庇状屋根 |
近寄って見上げると、尾垂木を用いた見事な斗栱です。
尾垂木とは軒下に斜めに出ている木材で、軒先を支えています。
この斗栱によって、木造建築の屋根を深く持ち出すことが出来ます。
そして、外壁を雨から守ります。
和様では柱の上にのみ斗栱を配しますが、禅宗様では柱と柱の間にも斗栱を配置します。
飛鳥・奈良時代に伝来し、平安時代に日本人が改良したのが和様です。
栄西・道元によって伝えられたのが禅宗であり、禅宗はまた、北宋の文化、建築様式をも伴ってきました。禅宗様は、鎌倉時代初期に伝わった様式です。
この「金剛山正福寺地蔵堂」は、柱と柱の間にも更に二つの斗栱が組まれているので、禅宗様建築であることが解ります。
中央柱間の扉(写真右側)は、やや太い框戸に薄い一枚板を嵌め込んでいます。
これを桟唐戸(さんからど)といいます。
その左横には、アーチ形の装飾をした桟唐戸を入れています。
その左にある同様な装飾が施された窓を火燈窓といいます。
これらの上部の欄間は、採光のために波形の縦子を入れています。
これを弓欄間(ゆみらんま)といいます。これも、禅宗様建築の特徴です。
参考:迎賓館赤坂離宮(東京にあるもうひとつの国宝建築)
静かにたたずむ国宝建築「金剛山正福寺地蔵堂」を紹介しました。
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