土木遺産について

 「土木」、今世代の若い方にはなじみの少ない言葉であり、文字のように思われますがいかがでしょう。

 高校・大学においても学部の冠に「土木」の文字が見当たりません。
私が物心ついた時分は、「土木建設業」であり花形の職種でした。

中学時代(54年前)担任であり野球部監督のM氏の影響を受け土木の道に進みました。
(当時のことで鮮明に覚えていることは、練習後のミーティングにおいて数年後から今後の経済や建設業の浮き沈み(波)の話でした。予想は見事に当たり現在に至っています。)高速自動車道路、新幹線等土木工事の建設やオリンピック、万国博覧会・・・もちろん建築も多分に漏れず著名な建築家も輩出し世の中が賑わっていました。

 これら、高度成長期のインフラが半世紀を経て維持管理社会へと推移し、近年建設業の進む方向が「自然との調和」、「コンクリートから人へ」とつながっていることは皆さんご承知のことと思います。

 そこで、高度成長期以前の昔を振り返り土木遺産について調べてみました。土木学会では、平成12年(2000年)に土木遺産の良い点や、歴史的土木構造物の保存に役立てること目的に「土木学会推奨土木遺産認定制度」を設立しました。年間約20件程度選出され、2019年までに全国で418件認定されています。
 尚、東北6県において現在31件認定されています。工種の内訳は下記のとおりです。

工種の内訳
1. 橋梁関連 8件 2. 水路 6件 3. 港湾 3件
4. 疎水・治水 3件 5. 鉄道施設群 2件 6. 水道用堰堤 1件
7. 植栽防雪林 1件 8. 煉瓦造灯塔 1件 9. 一里塚群 1件
10. 鉱山施設部 1件 11. 下水道 1件 12. 道路トンネル 1件
13. 干拓(品井沼)施設 1件 14. 開拓施設群 1件
合計 31件 

 

この中から「品井沼干拓関連施設群」について紹介いたします。
 300年ほど前までは、松島町から北側の松島丘陵を超えたあたりに大雨が降ると、鹿島台~松島~大郷町にまたがる地域(北海道の摩周湖の面積(19.22㎢)と同等の大きさ)に大きな沼が出現し、日照りが続くと谷地になる場所があり近郷の人々は常に洪水の危険とともに生活していました。

 仙台藩はこの土地を干拓し新田開発を進める計画を1693年(元禄6年)、仙台藩直営による干拓事業を開始しました。(この時、根廻村の肝いりである清右衛門のところに多数の「鉄道具が到着し大越喜右エ門を中心に工事が始まりました。」すべて人力による掘削であったことを思えば大変な苦難の事業でした。元禄潜穴と呼ばれ1698年(元禄11年)2条の素掘隧道(延長 2578m×巾 3.6m×高さ 2.4m)が完成しました。

これにより617町歩(6.12㎢)に及ぶ新田が開かれました。しかし降雨期になるとしばしば洪水の被害に見舞われました。
仙台藩では、明治時代までの間に6回の改修工事を行っています。
明治に入るとトンネルの流れはさらに悪くなり大雨のたびに水害になりました。

松島のイメージ

 

 当時の宮城県令の依頼で調査を(内務省お雇技師ファン・ドールトン)しましたが調査報告として工事費が干拓により開かれる耕地の利益総額より大きくうわまわり断念しました。

 しかし1889年(明治22年)品井沼周辺3群5村は品井沼沿村組合を設立し、松島(幡谷)の大友伝吉、鹿島台の鎌田三之助、大松沢の高橋仲之助らが中心となり宮城県や国に働きかけて沼の調査をし、干拓の計画を立てました。

明治潜穴公園

 

建設に共同で取組み1907年(明治40年)着工し1920年(明治43年)12月明治潜穴が竣工し1300町歩(12.89㎢)の耕地が開かれ、さらに水害除去地は840町歩(8.33㎢)に及びました。

 また、大正に入り吉田川の治水事業、吉田川の品井沼からの分離、さらに背割堤の築堤により成瀬川・吉田川の河口までの分離、吉田川サイフォン等の改良を加え現在に至っています。

 

用語
高度成長期 戦後1955~73年にわたる経済成長率がとても高い時期
土木学会 美しく豊かな国土と持続可能な社会づくりに貢献する学会
土木学会推奨土木遺産認定制度 土木遺産を広く知ってもらうこと、歴史的土木構造物の保存に役立てることを目的として創設
品井沼干拓関連施設群 一連の品井沼干拓事業に対する地元の汗と情熱を支えた一大土木施設群として選ばれる
仙台藩 江戸時代に陸奥国の仙台城に藩庁を置いた、表高62万石の藩
根廻村 宮城県に明治初年頃に存在した村
内務省お雇技師ファン・ドールトン オランダの土木技術者で、明治時代のお雇い外国人。日本で河川・港湾の整備計画を立て、様々な事業に携わった。
品井沼沿村組合 状況を打開するため、1889年(明治22年)に品井沼沿岸の五か村が元禄潜穴の改修と新たな排水路の開削を目的として結成
明治潜穴 素掘り・レンガ造隧道 延長1309m×巾6m×高さ4m
吉田川サイフォン 7連RCボックス 管体長 103.8m×巾2.6m×高さ3.0m 着工 1933年(昭和8年) 竣工 1934年(昭和9年)
鳴瀬川吉田川背割 着工1925年(大正14年) 竣工 1941年(昭和16年)

 

面積換算
アール
1 0.003333 0.000333 3.30578 0.033058 0.000003
300 1 0.1 991.736 9.91736 0.000991
3000 10 1 9917.36 99.1736 0.009917
0.3025 0.001008 0.001 1 0.01 0.000001
30.25 0100883 0.010083 100 1 0.0001
302500 1008.33 100.833 1000000 10000 1

(参考文献)
  松島町 品井沼干拓の歴史
  土木学会 品井沼干拓関連施設の開設シート

 

 

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