コラム「あたりまえなことの大切さ」

2011年3月11日14:46
東日本大震災と呼ばれる大地震が発生したとき、私は仙台にいた。

行方不明と関連死も含めると23,000名の命を奪い、私に近しい多くの人達の住宅や命が津波にさらわれたが、内陸にあった私の職場や自宅は大きな被害はなかった。

しかし、その時から、水も電気もガスも電車もない生活が始まった。毎日、遠くまで歩きバス待ちの大行列に並んで出勤した。会社では、災害対策本部の仕事をした。

具体的には、建物の被災状況の点検とお客様の被災状況の聞き取りを皆で手分けして行い、まとめた。そして、夜、行列の中、バスで行けるとこまで行って、街灯の点かない真っ暗な道を懐中電灯片手に歩いて帰宅する。そういう生活がしばらく続いた。

 

3月の仙台はまだ寒い。夜、自宅では、厚着をし、毛布を被って、その寒さをしのいだ。煮炊きは、小さいながら電気の不要な旧式石油ストーブが一台あったので出来た。灯りもそのストーブの火の小さな明るさがあった。

トイレに行くにも懐中電灯を使い幸いにも残り湯を溜めたままだったお風呂の水をトイレに流し、ストーブでお湯を作り手拭いを浸して体を拭いてお風呂とした。
水は、家人が、隣町のお宅が井戸水を分けてくれるとの情報を得て、残り少ないガソリンを使って車を走らせ、分けてもらいに行ったのだが、残念ながら飲料には適さない井戸水だった。

給水車もなかなか来てくれなかった。毎日、会社で支給される500mlのペットボトルの水が頼りだった。
結局、週末、会社の給湯室に飲料水をポリタンク一杯貰いに行って、助かった。大きなビルの受水槽と高架水槽には大量の水があったのである。
食料は、やはり、電気が来ないために、暗くレジも打てない近所のスーパーマーケットで、そこに残っていたまだ腐っていない食材を買い物籠ひとつ一律2千円というどんぶり勘定で、少しは入手できた。

この水も電気もガスもない原始的生活がおよそ一か月続いた。

 

普段、我々が蛇口をひねると出てくる水は、貯水施設の原水を、沈殿、ろ過、塩素剤による消毒を経て水質基準に適合させた浄水である。だから、安全に飲むことが出来る。この、日本ではあたりまえなことは、世界では稀なことである。

人体の約60%は水である。幼児は75%である。だから不衛生な水しか手に入らない難民キャンプや子供たちが遠くまで行っても泥水しか得られない発展途上国の人達の健康は危うく寿命も短い。

 

もうすぐ日本は、人生100年時代を迎えようとしている。
それは、医学の進歩だけではなく、良い建物・良い水と空気と電気を供給する設備、つまり快適な住環境のおかげであることに、被災すると気付く。

建設に携わる人は、そういう意義のある仕事をしている。

 

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